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大阪地方裁判所 昭和35年(モ)2264号 決定 1960年9月19日

申立人 門野寅治郎

被告 国

訴訟代理人 堀川嘉夫

主文

本件忌避申立を却下する。

理由

一、本件忌避申立の理由の要旨は「当裁判所昭和二三年(行)第八六号農地買収不服事件は、去る昭和三三年一二月一〇日に弁論終結となり判決言渡期日も指定されたが、原告である申立人において裁判官忌避申立、抗告などをしていたゝめ判決言渡が中止されていたところ、過般抗告棄却の裁判が確定したので判決の言渡があるものと待つていた。しかるに弁論再開となり、昭和三五年四月一八日午前一〇時が再開後第一回の口頭弁論期日となつた。ところが同期日は先行事件の証人調のため午前一二時前まで開廷されず、裁判所は申立代理人担当の他の数事件とともに同日午後の開廷とした。右開廷のへき頭裁判長裁判官平峯隆は弁論更新の旨宣言し、型のごとく、弁論は従前口頭弁論調書のとおりとして手続を簡省した。原告は裁判所から再開の事由を告知されず、また従前の法律上、事実上の主張の不備不当の点についてなんら釈明の機会を与えられず、また更新手続は形式的で、前回弁論終結以前の証拠書類の取調もなく、多数の証人調の申請中留保されていた分についての許否の決定もなかつた。そこで原告代理人である申立代理人は午前中に相代理人の提出した検証の申出書に基づいて検証を求めその許否の裁判を求めたところ、裁判所は被告の意見をきいて判事席で合議のうえ右申請を却下した。そして裁判長裁判官平峯隆はまさに弁論終結を宣言せんとする気配であつたから申立代理人は直ちに裁判長の訴訟指揮に対し異議を申し立てたが、裁判所は常例のごとく、民事訴訟法第一二九条の決定をなさずして弁論終結を告知したのである。

忌避原因第一点

右農地買収不服事件は昭和二三年五月五日訴提起にかかるもので、原告は訴提起以来、買収手続上のかしは明白重大なるものありとの信念のもとに、農地委員会の決議録、買収計画書、裁決書承認書等手続上の法律行為の形式的効力を争つてきたもので、これを証明する各公文書の提出、その送達に関する取調等に多大の審理日数を重ねている。それでもなお、前回弁論終結当時においては手続に関する多数の証人調の申請についての決定が未了のまま残されており、二回にわたつて行なわれた現場検証についても、これに関与した裁判官で弁論再開後になお残つたのは裁判長裁判官平峯隆のみであつて、陪席裁判官中村三郎、同上谷清は現場を見ていなかつた。それで原告は他の人証、書証の補充取調に先立ち新構成の三裁判官の新たな検証を求め、係争地が自作農創設特別措置法上の買収除外性を具備することの認定に資せんとしたものである。

右のように手続上の無効ないし取消事由の存否に関する証拠調が残存するままで、しかも実体上の買収無効ないし取消事由を証する実地検証の申請を却下して弁論を終結したのは、裁判所が記録の現状すなわち前回結審の程度で訴却下または請求棄却の判決をなすに熟したとの合議を懐中していたからと考えられ公正を疑う理由とするに足る。

同第二点

右のような審理の経過に鑑みると、裁判長裁判官平峯隆は新証拠は一切採用せず、前回弁論終結当時の審理状態のもとで即時弁論を終結すべしとの訴訟指揮権を行使したものであるから、原告は民事訴訟法第一二九条の異議を申し立てたが、当裁判所は前例同様決定の必要なしとの見解からか、決定をしないで直ちに弁論終結の宣言をした。これは裁判所の構成各裁判官がいかに弁論終結を急いだかを示すもので、法律上、事実上の弁論補正の機会を与えずに裁判をしようとしたことを明示するものであり、申立代理人において三裁判官の公正を疑う事情顕著である。

同第三点

当裁判所の弁論終結の訴訟指揮は、他の過去の農地事件におけると同様、原爆的暗打的弁論終結である。そもそも弁論終結前に当事者に法律上、事実上の弁論の機会を与えなければならないことはドイツ民事訴訟法を継受した旧民事訴訟法の明定したところである。現行民事訴訟法には明文の規定こそ省略されたが、当事者弁論主義のもとにあつては右措置は条理に属し、法廷慣習でもある。本件のような複雑な事案につき弁論再開後一回の続行をも許さないことは良心的でない。民主主義下の民事訴訟においては、絶対に最終弁論を許さないとの必要性、緊急性の存しない限り当事者の最終弁論を許すべきである。当裁判所が即決宣言をしたことは、申立代理人において三裁判官の公正を疑う点である。」というにある。

二、しかしながら、本件忌避の申立は明らかに忌避権の乱用である。

(一)  裁判長裁判官平峯隆に対してはさきに申立人から忌避の申立がなされたが、その申立は理由がないとして却下する裁判が確定したばかりであり、本件忌避の申立は再度の忌避申立である。本件申立の理由は前回忌避申立後生じた理由はなにも含んでおらず(検証の申請を採用しなかつた事実はあるが、前回の弁論終結に際しても原告申出の証人を採用せずに弁論を終結したのであり、証拠調をしなかつた点においては質的に同一である)したがつて前回の忌避申立を理由なしとする確定裁判を無視したものである。

(二)  本件忌避申立の理由は各裁判官の公正を疑う事由とは明らかに関係のない事柄を挙げているにすぎず、それ自体忌避理由にあたらないことが明らかである。

すなわち本件忌避申立の理由を要約すると、(1) 裁判所が申立人(原告)申請の証拠を採用しなかつたのは、裁判官において訴却下ないしは請求棄却の判決をなすに熟したとの合議に到達していたと考えられること、(2) 裁判所が裁判長の訴訟指揮に対する申立人の異議に対する決定をしなかつたのは、裁判所が弁論終結を急ぎ、弁論補正の機会を与えずに裁判をしようとしたことを示すものであること、(3) 裁判所が弁論終結前に弁論の機会を与えなかつたこと、がそれぞれ各裁判官の公正を疑う事由であるとするものである。

しかしながら、(1) 当事者の申請した証拠を採用しなかつたということがそれだけで裁判官の公正を疑う事由とならないことは幾多の裁判例においてすでに確認されたところである。いわんや、証拠を採用しなかつたから訴却下ないし請求棄却の合議に到達したものであるというのは論理の飛躍であり、また訴却下ないし請求棄却の合議に到達していたことが公正を疑う事由であるというに至つては裁判官否定の論理である。裁判所が弁論を終結するにあたつては、事件についていかなる判断を下すかの合議に到達していることは当然であり、合議の結果裁判をなすに熟した、すなわち判断ができたからこそ弁論を終結するのである。もちろん弁論終結後にさらに合議を重ねた結果当初の判断と異なる判断に到達する場合はありえるし、さらに弁論をなす必要があるとの判断に到達する場合もありえる(この場合弁論の再開を命ずることになる)。しかし、少なくともなんの判断もなしに弁論を終結することはありえないもので、それ自体矛盾である。申立人の筆法をもつてすれば、裁判所はなんの心証もなく、なんの法律判断もなく、空白の状態で弁論を終結するか、さもなければ常に忌避申立の事由があるとしなければならない、というはなはだ奇妙な結論にならざるをえないであろう。申立人のこの点の主張の誤りであることは明らかである。(2) 弁論終結は裁判長のなす訴訟指揮ではなく、したがつてこれに対して異議の申立ができるという法律上の根拠はなにもない。これについて決定をしなかつたからといつて公正を疑う事由があるということのできないことは、前回の忌避申立に対する裁判において判示されているし、当然のことといつてよい。なお申立人は裁判長がまさに弁論終結の宣言をなさんとしたので、裁判長の訴訟指揮に対して異議を申し立てたというが、そうではなくて弁論終結に対し異議の申立をしたものであることは調書上明らかである。この点申立人の主張はなんらかの誤解に基づくと考えられる。(3) 弁論終結前に当事者の最終弁論の機会を与えることは常に必ずしも民事訴訟法の要求するところではないし、また最終弁論の機会をかりに与えなかつたとしても、そうだからといつて公正を疑う事由があるといえないことも明らかである。しかも本件においては、昭和三四年一二月二四日午前一〇時、同三五年二月二二日午前一〇時と二回も期日が延期されているし、弁論再開を命じてから弁論終結まで四ケ月もの期間があつたのであり、原告において弁論を準備する機会も充分与えられている。また現に弁論の機会を与えており、それなればこそ原告において検証の申出をしているのである。申立人である原告において充分に弁論の機会を与えられながら、主張の補正等についてはなんの準備もせず(当裁判所は昭和三二年一月一二日の口頭弁論期日以来再三にわたつて、申立人が買収計画の無効事由として主張する対象土地が自創法第五条第五号該当地であることの具体的事実について釈明をうながしているが、申立人は三年間を無為にすごしてこれに応じないものである)自ら機会を放棄しておいて、なおかつ期日の続行のみを求め、裁判所において弁論の機会を与えなかつたというのは強弁も甚だしいといわなければならない。

さらに、申立人主張の以上のような忌避理由は合議体を構成する裁判長裁判官平峯隆、裁判官中村三郎、裁判官上谷清の個々の裁判官に対する忌避事由としてはなんの意味もない。申立人申請の証拠を採用しないで弁論を終結し、異議申立について裁判せず、あるいは最終弁論の機会を与えなかつたという忌避理由はいずれも裁判所の態度に関する。合議体の裁判所にあつては個々の裁判官の意見、態度と裁判所の意見、態度とは必らずしも一致しない。裁判所の意見、態度は、合議体の裁判所にあつてはその構成裁判官の合議によつて定まるが、合議において構成裁判官の意見が必らずしも全員一致するとは限らない。そして、意見が別れる場合は最後は多数決によつて裁判所の意見態度が決定される。したがつて三人の裁判官によつて構成される裁判所の場合、裁判所の意見、態度と、少なくとも二人の裁判官の意見、態度とは一致すること明らかであるが、一人の裁判官が意見を異にする場合はありえる。たとえば裁判所が請求棄却の判断に到達していても、それは構成裁判官全員一致の合議によるものかもしれないが、あるいはまた一人の裁判官は請求認容の意見であるかもしれない。したがつて本件において、裁判所が証拠の申出を採用しなかつたとか、異議の申立につき裁判をしなかつたとか、最終弁論の機会を与えなかつたとかいつても、そのことから裁判長裁判官平峯隆が、裁判官中村三郎が、また裁判官上谷清がそれぞれそのような意見であつたということには必らずしも結びつかない。裁判官に対する忌避の申立は個々の裁判官について公正を疑う事由があるとしてなされなければならない。裁判官に対する忌避の申立は、個々の裁判官につき公正を疑う事由があるときに、当該裁判官を職務の執行から排除する目的を有するものだからである。本件においては各裁判官の個々について、その公正を疑う事由は結局なにも主張されていない。この意味からいつても本件忌避申立の理由はそれ自体失当であること明白である。

(三)  次に、申立代理人が原告訴訟代理人となつている農地事件は当裁判所に多数係属しているがそのような事件については、過去、弁論を終結すると必らずといつてよい位に忌避申立がなされている(弁論を終結しない間は忌避申立はなされていない)ことを指摘しなければならない。このような忌避申立はすでに数年前から、当裁判所(大阪地方裁判所第三民事部)を構成した裁判官全員、ときには裁判長のみについて、しかもどの裁判官が担当してもほとんど本件と同様の理由でなされている(このことからも本件忌避申立の事由が個々の裁判官の公正を疑う事由とはなんの関係もないことが判る)。そしていずれの忌避申立も最近申し立てられて係属中のものは別として、その理由がないとして棄却あるいは却下されている。しかも特筆すべきことは、同一訴訟について再度の忌避申立が、これまたほとんど同じ理由で繰り返された事例がひとり本件のみに止まらないということである。以上はいずれも当裁判所に顕著な事実である。

右に指摘した事実は、申立代理人が訴訟代理人となつている事件に共通して見られる特有の現象である。このことからすると、民事訴訟では訴訟代理人には固有の忌避申立権は認められていないのであるが、申立代理人が訴訟代理人となつている事件における裁判官忌避申立は、申立人を代理してするそれではなく、むしろ申立代理人固有のものとしてする忌避申立ではないかとの疑いすらある。本件においても忌避原因疏明書で、申立人ではなくて「申立代理人が公正を疑う」事由があるとの表現がなされていることは注目に値する。

しかし、それはともかくとして、ここでは申立代理人が訴訟代理人となつている事件において、弁論続行中は忌避申立もないのに、弁論を終結すると忌避申立がなされるのが常であるということを指摘すれば充分であろう。

以上説示したように、(一)すでに確定裁判があつたのに、これを無視してなされた忌避申立を含むこと(裁判長裁判官平峯隆に対する部分)、(二)忌避申立の理由として主張するところが、いずれも明らかにそれ自体失当であること、(三)しかも申立代理人が訴訟代理人として関与する多数の事件について、弁論続行中は忌避の申立もないのに、弁論を終結すると本件と同様の忌避申立が必らずといつてよいほどになされていること、を総合考慮すると、本件忌避申立はもはや正当な権利行使とはとうてい認められず、まさに訴訟遅延の目的に出でたもので、権利行使に名をかりて明らかに忌避権を乱用するものであると断じてよい。

三  およそ日本国民は公平な裁判所の裁判を受ける権利を保有する。憲法第三七条第一項は明文にこそ刑事々件における被告人を掲げるに過ぎないが、この理はもとより刑事被告人に限るものではない。このことは現代民主々義下の法治国家にあつては当然のこととして等しく是認される法理であるといえる。そして、この公平な裁判所の裁判を受ける権利の訴訟法における一具体化が忌避の制度であり、万が一にも不公平な裁判の行なわれることのないように、公平な裁判の実現を側面から保障し担保するものであるといえよう。

しかしながら、忌避権といえども、一般の訴訟上の権利、いな、さらに大きく権利一般についてと同様、誠実にこれを行使するのでなければならず、いやしくも乱用にわたることがあつてはならない(憲法第一二条、民法第一条第三項、刑事訴訟規則第一条第二項参照)。

忌避の効果は、もし忌避が理由ありとの裁判が確定すれば、裁判官は当該事件の職務の執行から排除される点において本質的なものであるが、忌避の申立は附随的には本案の訴訟手続を停止せしめる効果を有する(民事訴訟法第四二条)。したがつて、忌避の申立が理由がないとして棄却された場合は訴訟手続が停止されたことによつて、結果的に、相手方当事者は多かれ少なかれなんらかの不利益を蒙るのが一般である(忌避申立を棄却ないし却下する裁判について抗告がなされた場合、忌避の申立が理由なしとする裁判が確定するまで数ケ月ないし一年前後、ときにはそれ以上もかかるのが現状である。)忌避申立が正当な権利行使であるならば(結果として認容されると、棄却されるとにかかわらず)これもまた止むをえないものとして忍ばなければならない。裁判において迅速も重要ながら、その公正であることはなにものにも代え難い根本的な要請だからである。しかしながら、忌避の申立が明らかに権利の乱用であると認められる場合にもなお訴訟手続を停止しなければならないとするならば相手方当事者がいたずらに不利益を蒙るのみである。極端な場合、無理無体な忌避申立、訴訟遅延の目的のみをもつてする、権利の行使に名をかりた忌避申立を繰り返すことによつて訴訟は永久に停頓し相手方当事者(本件の場合被告)が裁判を受ける権利は全くふみにじられてしまう結果を招来するであろう。しかもこのような事態はもはや決して、ありえない想像上の事例ではなくなつた。本件における裁判長裁判官平峯隆に対する忌避の申立が前回と同一事情のもとになされた再度の忌避申立であり、さきに同裁判官に対する忌避申立を理由がないとして排斥した確定裁判を無視したものであることはすでに述べた。忌避申立を理由なしとして棄却する裁判が確定し、訴訟手続が進行を開始するや、再び新らしく忌避申立がなされた事例が本件のみに止まらないこともすでに指摘した。当裁判所に係属する、申立代理人が原告訴訟代理人となつている多数の農地事件でここ数年以来、ほとんど常に弁論を終結するごとに裁判官忌避の申立がなされ忌避の裁判が確定するまですべて訴訟手続が停止されたままになつてきた(第一審の忌避の裁判に対してはほとんど全部について即時抗告を申し立て、抗告裁判所の抗告棄却の裁判に対し、さらに再審の申立もしくは特別抗告の途に出たものも少なしとしない。再審の裁判もしくは特別抗告の裁判があるまでの間も訴訟手続は事実上停止されたままに置かれる)。

当事者一方の全くいわれなき忌避権の乱用によつて、相手方当事者の裁判を受ける権利が無視されふみにじられるという不正義が許されてよいはずはない。いな、裁判所、まさに正義の担い手としての裁判所は、かかる不正義をむしろ断固として排斥する義務があるといつても決して過言ではない。

民事訴訟法には、刑事訴訟法第二四条のような、忌避申立の簡易却下の規定はない。しかし、明文の規定はなくても、忌避申立が訴訟遅延を目的とするものであつて、明らかに権利の乱用であると認められる以上は(明らかに乱用であるとの認定はもとより極めて慎重でなければならないこと当然である)、忌避申立を受けた裁判官は自から忌避申立を却下することができると解し、忌避権の乱用であるとして忌避の申立を却下する裁判をした場合には、その裁判の確定をまたずに訴訟手続を進行できると解さなければならない。なんとなれば権利の乱用はもはや権利の行使ではないからである。右のように解してはじめて、民事訴訟における両当事者の「公平な裁判を受ける権利」がまつとうに保障されるといわなければならない。

四  本件忌避申立が明らかに権利の乱用であることはすでに認定したとおりである。

よつて本件忌避申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 平峯隆 中村三郎 上谷清)

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